弁護士は日々、裁判所における訴訟活動として「口頭『弁論』期日」に参加している。しかし、海外では指導もされているそうであるが、日本では正しい『弁論』の技術についてはあまり教育されていない。
そこで、『弁論』について、基礎から学ぼうと考え、古代ギリシャの哲学者アリストテレスの「弁論術」を読んでみた。
1.ロゴス・エトス・パトス
アリストテレスによれば、人を説得するために必要な「弁論術」は、技術であり、学ぶべきものである。そこには、「正しいことを言えば人は分かってくれる」という甘さはない。正しい論理(ロゴス)はもちろん大切であるが、いかに正しいことを言っても、論者の人柄・人間性(エトス)がなければ、人を説得することはできない。また、特に「法廷弁論」においては、聴衆の感情や情緒に訴え、共感や情熱を引き出すこと(パトス)も重要であると説いている。
確かに、ギリシャの裁判と異なり、現在の日本の裁判官はロゴスを重視しているであろうが、しょせんは人間であり、弁護士の人柄(エトス)が影響を与えていないはずはない。ましてや、感情的な共感(パトス)が影響を与えていないはずもないであろう。
2.ロゴス
(1) 例証(帰納法)と説得推論(演繹法)
アリストテレスによれば、論理的な説得方法は、例証と説得推論の2つしかない。
例証とは、具体的事例や類似例を挙げて説得する方法であり、「ペルシャ戦争のときも、強大な国は小国を攻めたが失敗した。だから今回の遠征も成功しないだろう。」といった説得方法である。一方、説得推論とは、争いのないいくつかの真の命題から,他の命題を導出することであり、「すべての人は死ぬ」「ソクラテスは人である」という2つの争いなく真の命題から「ソクラテスは死ぬ」という命題を導くという、A→B→Cという論理操作である。論理的な説得方法が、この2つしかないと言われると反発したくなるが、確かに、弁論をするときには、自分がこのどちらの方法をとっているのかを自覚しておくのがよさそうだ。
(2) 例証の方法
アリストテレスは
「例証は2種ある。すなわち、例証の種の1つは、過去にあった事実を挙げることであり、いま1つは論者自身が例を創り出すことである。後者のうち1つは比喩であり、1つは、寓話である。」と例証を@実話とA比喩・寓話に分ける。そして、実話の方が説得力があるが、過去の同じような事実を見つけ出すのは困難が多く、比喩・寓話を作るのは容易であるという利点があると述べている。確かに、ついつい容易であるから、比喩等を使ってしまうことがあるが、説得力のある実話を見つけ出す努力を忘れないようにしたい。
(3) 説得推論の方法
説得推論については、 「…説得推論においては・・・遠くから多くの議論を重ねて結論を導くということであってはならないし、議論の段階をすべて押さえながら導くというのであってもならないのである。というのは、前者は議論が長すぎて、聴衆にははっきりしなくなるし、後者は、判りきったことまで述べるため、無用なお喋りになるからである。・・・じつにこのことが、大衆の前では、教養豊かな弁論家よりも教養の欠ける弁論家のほうが説得力を持つ理由となっている。」と述べている。なるほど〜という感じであり、論理的正確さを意識しすぎて、丁寧に丁寧にと思うと、長くなりすぎて分かりづらくもなるので気をつけたい。
3.パトス〜憐れみ、怒り・妬み、親切
(1) 憐れみ
アリストテレスによれば、人が憐れみの感情を抱くのは、自分自身か身内の誰かもひょっとして見舞われるかもしれないと予想されるようなものにだけである。そのため、人は、自分と似ている人々に対してしか憐れみを覚えない。確かに、刑事の被告人など一般人と違い過ぎて「特殊な人」と思われてしまう場合がある。そんなときにも「 我々と同じ人間だ!」「我々だってこんなことあるでしょ!」と、似ている人間であることを強調するというのは、憐れみの感情を抱かせるために、良さそうな戦略だ。
(2) 怒り・妬み
しかし、逆方向の戦略もある。アリストテレスによれば、人間は、友人には激しく怒るが、赤の他人には怒りを覚えない。自分と同じ又は同じと思える者には妬みを覚えるが、赤の他人には妬みを覚えない。
そこで、自分に引き付けて考え、怒りや妬みを感じさせないように、被告人は「・・・という特殊な状況で育った、一般人とは全く違う人です!」と強調することが効果的な場合もあろう。
(3) 親切
アリストテレスによれば、人が親切と考えるものとは,見返りなく何かの役に立つことが目的で手を貸すことである。したがって、人を不親切な人に仕立てるには,「彼らは自分自身のために手助けをしている」「たまたまそういう巡りあわせになった」,「強制されてそうせざるを得なかった」ということを明らかにすればよいとされる。相手方の評価を下げる弁論であるため反感を買われないように注意する必要があるが、確かに有効そうであるし、無意識的にはよくしていることだ。
4 奇抜な表現の使用
アリストテレスは、最終の第3巻では、「伝える内容」だけではなく、伝え方「表現」についても、様々な技術を伝えている。 その中で、アリストテレスは、多用すべきではないが、時に「聞きなれない表現は興味を引き付けるために重要である。」と述べて、詩的な表現や造語をここぞという場合に使うことが有力であると述べている。確かに、ニーチェの「超人」やハイデガーの「現存在」、あるいは西田幾多郎の「全体矛盾的自己同一」のように、有名哲学者は謎めいた独自用語を創り出し、それが興味を引かせる原因になっている。
例えば、「被告の主張は、『迷走主張』というしかない。」「本件契約は均衡を欠いた『片翼契約』である」といった奇抜な表現で主張してみるというのも面白いかもしれない。
もっとも、アリストテレスは、表現を凝ることについて、「作為に気づかれてはならない。技巧に走っているのではなく,ごく自然な語り方と思われるようにしなければならない。」とも述べている。
日本の裁判所では、奇抜な表現は作為に気づかれてしまい、不快感を感じさせることの方が多そうだ。
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