2017年09月12日

「記録化」社会による裁判所の崩壊 

信号を無視したのはAかBか、、、それが分からないことで裁判が長期化する例は多かった。
 軽微な物損事故において、信号が何色であったか分からないために何年も裁判をしていると、不誠実ながら不毛感を感じることもあった。

 しかし,社会は変わりつつある。
 交差点付近の防犯カメラなどから、事故時の信号の色が分かることが増えた。
 最近ではドライブレコーダーの映像から、事故時の信号の色が分かることも多い。
 技術の進歩により,不毛を感じさせるような長い裁判が減ってきたのである。

 また、スマホのように,多くの人々がもてる簡易に録音・録画できる装置が増えた。
 昔は,長時間の録音をすると、テープの量が膨大になりその管理が大変であった。
 しかし今では,何時間にも及ぶ録画内容がごく小さな媒体にすべて記録できてしまう。
 そのため,録音・録画媒体が,種々の裁判に提出されることも非常に増えた。

 考えてみると,裁判の多くは,「信号が青だったのか赤だったのか」,「保証すると言ったのか言わなかったのか」といった,過去の事実の内容について争いがあるため起こるものだ。
 人間の行動の全てが録音・録画されていれば,ほとんどの裁判は不要になり,裁判所は閑古鳥が鳴くようになるであろう。
 そうなれば「裁判」をするのはもはや裁判官ではなく,録音・録画を調査するロボットだ。
現在の裁判所は不要となる。

 裁判になると分かるが,街には,すでに驚くほど多くのカメラが設置されており,人々の行動の多くがカメラに捉えられている。
 人間の行動の全てが録音・録画され,裁判所が不要となる社会の到来も,そう遠くないのかもしれない。


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posted by 内田清隆 at 09:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 弁護士雑感

2017年09月04日

著作権侵害判断の避けられないあいまいさ

ファンの方には,怒られそうだが,レゲエに精通していない自分に取って,レゲエの歌は,全部同じに聞こえる。ズッチャカズッチャカ,チャカポコチャカポコ・・

キャプチャ.PNG

あるとき,テレビCMで利用している楽曲が,某有名アーティストの楽曲とよく似ているので,著作権(翻案権)を侵害していないか心配であるという相談を受けた。

 実際に聞いてみたところ,非常によく似ている。これは著作権侵害にあたると直感した。
 ところが,その曲を弊所の職員数名に聞かせてみると「全然違う」「まったく似ていない」そんな意見が多かった。
 自分はもともと音痴であり,音楽の著作権侵害については,自分の耳を信用しない方がいいなと思った。

 最高裁は,有名な「江差追分事件」の判決で,著作権(翻案権)を侵害するかどうかの判断は,
既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできるか
 という基準によるべきであると判示した。
  しかし,極めてあいまいな基準というしかない。プロのミュージシャンと私のような音痴のようでは,表現上の本質的特徴を感得できるかどうかは大きく違ってくる。音楽的素養の有無によって,判断は大きく異なってしまうのだ。
 「通常の音楽的素養をもつ一般人」を基準とすべきなのであろう。 
しかし,裁判官が通常の音楽的素養をもっているとは限らない。
通常の音楽的素養をもっていない裁判官が,通常の音楽的素養をもつ一般人がどう考えるかを判断することは非常に困難だ。

 陪審員制のように,一般人が関わり,多数決で決めることが正しい判断につながるのかもしれない。
 「本質的な特徴を直接感得できた人,手をあげて」と聞いて,手が多く上がったら,著作権(翻案権)を侵害しているというわけだ。
 いい加減すぎる感じだが,裁判官による判断であってもそう違わないのではという気がする。


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posted by 内田清隆 at 10:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 知的財産法